目次
友情結婚の出産
こんにちは。カラーズに入会し、友情結婚(成婚退会)しました、佐藤と申します。
前回まではつわり期間中のことを書きましたが、今回は出産までのことを綴ってみようと思います。
出産自体は友情結婚以外の方とも変わらないと思いますが、里帰りする?立ち合いはどうする?などなど、友情結婚だからこそ考えるべきところもあったように思います。
つわりが終わってからの体調
つわりが終わって気持ち悪さは軽減したものの、妊娠後期にはお腹も大きくなって動きづらいし、すぐ体重は増えるし、胃が圧迫されるからか食べ過ぎると気持ち悪くなるしと、快適な妊娠生活というわけではありませんでした。
けれど、会社側の配慮でほぼ在宅勤務をさせてもらえるようになり、通勤時間がないだけでもかなり楽になりました。少し具合が悪くなっても、楽な体制で仕事ができるのもとても助かっていました。
里帰り出産
出産は、実家に里帰りすることに決めていました。
実家や義実家は少し離れていたため、自宅では育児を手伝ってくれる人がおらず日中は一人になるという状況で、産後に不安があったからです。高橋さんも母子の心身の健康が一番と考えてくれ、快く送り出してくれました。義実家の方も、それが安心だね、という感じで特に何か言われることはなかったです。
産休に入ってすぐに実家に帰ったのですが、家事は家族がしてくれたため、ほとんどゴロゴロのんびり過ごしていました。この頃になるとお腹もとても大きくなり、動くのも一苦労だったため、とてもありがたかったです。
破水から始まった出産
実家でのんびり過ごしていた中、予定日を数日超過した夜中に破水しました。
痛みはほとんどなく、ふと夜中に目が覚めたときに何か液体が「じょろっ」と出ました。半分寝ぼけていたため、尿漏れ?と思ったのですが、また何か出てきたので慌ててトイレに行って、破水だとわかりました。
寝ていた母を起こし、産院に電話をして、すぐ入院することになりました。この時はまだ痛みはなかったため、用意していた入院セットを何度も確認したり、もう生まれるんだねーとのんびり話していました。夜中でしたが高橋さんにも病院に向かうことを連絡しておきました。
陣痛は叫ぶほど痛いものという認識はあったので、子どもが産まれるのは待ち遠しくはあったものの、怖さや不安もありました。けれどこの時点では、きた!やるぞ!という気持ちを持てるくらいの余裕はあったように思います。
産院について内診をしてもらったところ、子宮口はほとんど開いていませんでした。まだだろうということになり、一旦部屋に戻って眠りました。
陣痛を耐える時間
朝になると、少しずつ陣痛が起きてきました。朝食は食べる元気があったのですが、昼前頃になると波のように痛みがきて、出された昼食は食べられませんでした。ぎゅーっと陣痛が来ると喋るのが辛いのですが、1分程で痛みが収まり、何事もなかったかのようになります。そして5分~10分後にはまた痛みがやってくる……というのを何度も繰り返します。
少しずつ子宮口が開いてきたので、部屋を出て陣痛室でひたすら産まれるのを待ちました。波のように痛みがきて、痛みがふっと無くなったら気絶するように寝る、というのを繰り返していました。
陣痛って、ずっと痛いものだと思っていました。けれど実際は、本当に何事もなかったかのように痛みがふっと無くなるので、その間は平気で飲み物を飲んだりしていました。
助産師さんが腰を押してくれるのが絶妙にうまかったこと、「この痛みは一生続くわけではない、1分耐えたら収まる」とわかっていたこともあり、比較的冷静に陣痛を耐えることができました。痛みがあるときは、ただ細く、長く息を吐くことに専念していました。陣痛の痛みは、内臓をぎゅーっと絞られる感じでした。
やっと会えたわが子
しばらくすると、所謂「いきみ」たい感じが出てきました。助産師さんが押してくれ、数回いきみを逃すと、子宮口も全開になり、分娩室に移動となりました。
陣痛がいつ来るか待っていたときは出産に恐怖がありましたが、振り返ると当日は目の前の痛みを逃すことに必死で、怖さは不思議とありませんでした。
分娩室では、助産師さんの合図に合わせていきみました。この時には不思議とあまり痛みはなかったように思います。とにかく、出てこい!と思いながらいきんでいました。そしてしばらくしてから、無事に我が子が誕生しました。よくドラマで、妊婦さんがベッドの上で汗だくで叫んだりしていますが、私は「そこまでは…」という感じでした。こればかりは個人差が大きいと思います。
子どもが出てきて、産声を上げた瞬間のことは今でもよく覚えています。ほっとしたのと、さっきまでお腹の中にいたものが目の前にあり、あぁお腹にいたのは君だったんだ、やっと会えた…と不思議と幸せな気持ちでいっぱいでした。
陣痛・出産時の夫の付き添いは必要?
里帰りをしていたことや仕事の関係もあり、高橋さんはすぐに病院に来ることができませんでした。けれど、もし近くに来ていたとしても立ち合いはして欲しくないです。
陣痛中はよく夫に背中を擦ってもらうと聞きますが、私の感覚的には高橋さんに触って欲しくないです。励まされたり、頑張れ!と言われたりしても「あなたは楽でいいね…」と思ったりしそうですし、苦しんでいるところを見せたくないですし、高橋さんを気にする余裕がない(というよりは、そこに気力を使いたくない)ので、結果的に立ち合いしてもらわなくて楽でした。
出産時も同じ理由で立ち合いはして欲しくなかったです。直接的に陰部を見せるわけではないのですが、何となくそういうシーンを見せるのに抵抗があります。実際は母が立ち合いをしてくれ、出産時はビデオを回してくれたので、その映像は高橋さんに見せました。また、高橋さんとは出産直後にベッドの分娩台の上からビデオ通話をし、赤ちゃんの顔を見せました。
「夫に立ち会って欲しくない」というと変に思われるかなと思いましたが、里帰り中でタイミングよく来てもらえるかわからないので、立ち合いは母にお願いするつもりです、と病院側には先に伝えていました。また、私はわりと母とざっくばらんに話す方なので(ノンセクシャル、友情結婚の事は話していませんが)、高橋さんよりも母に立ち会って欲しいな~と伝えていました。特に怪しまれる感じはなく、実際、経験者でもある母親に立ち会ってもらう人も多いようでした。
子どもと高橋さんの初めての出会い
前回のつわり期間中の記事にも書きましたが、生まれてくるまではホルモンバランスの影響もあってか、高橋さんに抱っこさせてあげない、と思ったことがあります。
私は10ヶ月も自分の身体を気遣い、好きなことも、食べ物もセーブして、吐きながら仕事に通い、痛みに耐えて子どもを産んで…それに対して高橋さんはそれほど苦労していないのに、可愛い子どもを簡単に抱っこできて、ずるいんじゃない?と思ったんです。
生物学的に仕方ないこととはわかっているんですが、なんとなく気持ちがスッキリしませんでした。ずるいな、男は楽でいいな、と思っていました。
でも、子どもが産まれて、高橋さんが初めて抱っこして、その嬉しそうな顔や高橋さんの腕の中にいる小さな赤ちゃんを見ると、あぁ抱かせてやって良かったな、と思いました。
この気持ちの変化はよくわからないのですが、高橋さんが素直に子どもを可愛がってくれたので、私の頑張りが報われたような気持ちにもなりました。
子どもの名前
子どもの名前は出産前にいくつか候補を決めていました。
お互いが込めたい意味や漢字などをピックアップし、名前候補を持ち寄って話し合う…というのを数回行って絞り込みました。
一番は名前に込めた意味や呼びやすさを重視しましたが、姓名判断も少しだけ参考にしました。吉にはこだわらないけど、凶ばっかりなのはさすがに嫌だね、くらいで緩く参考にしました。
最終的には生まれてから、いくつか絞っていた候補のうち1つに決めました。決め手は顔を見たときと名前の印象があっているかどうかで、不思議とそこは高橋さんと意見が一致し「うん、この顔は○○だね」とすぐに決まりました。
そうして、二人から三人の生活がスタートしました。